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私の故郷

 3年半ぶりの日本。あれからもう3ヶ月が過ぎていってしまった。既に夢の中というか、オーストラリアに戻った瞬間に私の心は日本滞在前の日常モードにすんなりとリセットされてしまっていた。それと同じことだが、日本に着いた瞬間にオーストラリアでの生活の記憶がぷつんと消えて思い出せなくなってしまっていた。

 行きのフライトではゴールド・コースト空港で7時間もの出発遅れで散々な目にあった(実は帰りも関空のチェックインで2時間も並ばされるという酷い目に遭ったのだが)。なにしろ関空に飛行機が到着したのは翌朝の午前3時過ぎ。ホテルに電話しても繋がらないし、空港前に並んでいたタクシーはホテルは近すぎるから乗せてくれない(こんなことあり!?)。結局ホテル宿泊、というか仮眠とお風呂と朝食はあきらめて飛行機会社が臨時で出してくれた難波行きのバスに乗って始発の近鉄特急で名古屋に帰ることにした。しかし信じられないことに、切符を買おうとしたら現金しか取り扱ってないと言われ、ゾンビのような顔をして真っ暗な寒い難波のビル街をATMさがして歩く羽目になった。コンビニを見つけ、マシーンに銀行カードを入れて日本の紙のお金が出てきたときは本当に嬉しかった。

 私の目に映った311以降の最初の日本の景色。平常通り規則正しく移動する都会の日本人の姿。駅や交差点やお店のエスカレーター付近で繰り返されるアナウンスの雑音。知っていたはずの日本の日常に凄く違和感を感じた。なるべく他人とコミュニケーションをとりたくない、人と係わりたくない、そんな雰囲気がなんとなく伝わってくるのだ。それは単に日本人のシャイな性格だからなのか?それとも私がオーストラリアに長く住んでしまったから感じるだけのことなのか?

 他にもお店での若い人々の「いらっしゃいませ~」と繰り返される鼻にかかった奇妙な声が馴染めなかった。彼らはその時作業しながら自分の手を見ながらいらっしゃいませと繰り返し、その目を誰にも向けていない。大きな全国チェーンの古本屋に行った時もマニュアル通りに接客というか、パチンコ屋のようにただ自動的に音声を回転させている店員のアナウンスが不思議だった。そういえば、忙しく動き回る店員をやっと捕まえて「詩集はどこにありますか?」と訊くと、案内されたのは手芸の本の並べてある一角。これはもう苦笑いをするしかなかったっけ。だってまるで茨木のり子の「詩集と刺繍」だったから。

 

  詩集と刺繍

  詩集のコーナーはどこですか
  勇を鼓して尋ねたらば
  東京堂の店員はさっさと案内してくれたのである
  刺繍の本のぎっしりつまった一角へ

  そこではたと気づいたことは
  詩集と刺繍
  音だけならばまったくおなじ
  ゆえに彼は間違っていない

  けれど
  女が尋ねたししゅうならば
  刺繍とのみ思い込んだのは
  正しいか しくないか

  礼を言って
  見たくもない図案集など
  ぱらぱらめくる羽目になり
  既に詩集を探す意志は砕け

  二つのししゅうの共通点は
  共にこれ
  天下に隠れもなき無用の長物
  さりとて絶滅も不可能のしろもの

  たとえ禁止令が出たとしても
  下着に刺繍するひとは絶えないだろう
  言葉で何かを刺しかがらんとする者を根だやしにもできないさ

  せめてもとニカッと笑って店を出る

 

 雪のクリスマスに両親と一緒に行った一泊二日の山中温泉バス旅行。名古屋駅からの送迎バスの旅は快適で子供達もボクちゃんも楽しめた。インターネットで見つけた格安温泉宿だったけど、本当にそれで採算がとれるのかと心配になった。

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 その2日後には信州の叔父の家に向かっていた。一泊二日の小旅行だったけど、中央線で普通列車を乗り継いでゆっくり車窓を楽しみながらの旅がなによりも良い思い出になった。子供達へのゲーム機(iPod)禁止令の効果は大きかった。

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 駅まで車で迎えに来てくれた叔父は、家に到着するとまずは自ら考案した自慢の手づくり薪ストーヴを見せてくれた。そして私達のお昼のために捏ねてあったうどんのたねを延ばして切って、自家製手打ちうどんを振舞ってくれた。ボクちゃんは目を皿のようにして見てた。サイフォン・コーヒーの次は手打ちうどんブームなるか。叔母の掻き揚げと一緒に頂いた温かいうどんのシンプルな贅沢な美味しさにただただ感激した。うどんの後はやはりサイフォン・コーヒーね。

 昼食後もう一人の叔父(彼の双子の兄)に会いに行った帰りに、叔父の友人の経営する乗馬クラブに少しだけ立ち寄った。「丸太小屋のために薪ストーヴを作ってあげたらとても喜んでくれてね。ちょっと見にいくか?」って。ほんとに幸せそうに言った。お会いしたオーナーのおじさん、嬉しくてストーヴのそばで一週間寝たんだよって(HPの新着情報に写ってるね)。

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 正月2日は、ブリスベンで知り合い現在日本で暮らす名古屋出身の友人と再会した。みんな一緒に大須観音で初詣。・・・の予定だったが、私達の見たものは今まで見たこともないほどの人、人、人で溢れた大須観音だった。それほど縁起を担がない我々はさっさと初詣はあきらめて休憩場所をさがしながら矢場町・栄付近まで歩いた。が、どこの飲食店も長蛇の列で、やっと座れる席が見つかったアメリカの某サンドイッチ屋(しかしパンが品切れ)でやっと腰を落ち着けて友人と積る話に花を咲かせた。短い時間だったけど本当に楽しかった。今から思うと、あの時間あの場所全てが映画の世界のように感じる。

 写真は道端で見つけたピラカンサ。中古で買ったルミックスGF3で撮った最初の一枚。

 

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 翌日。別の友人家族とまたも大須で会った。大須観音は前日ほどではなかったけどやっぱり大勢の参拝客で溢れていて、またも初詣はパス。友人のおすすめの学生時代からの贔屓の味噌煮込みうどん屋さんへ30分待って入店。有名な某味噌煮込みうどんは苦手だけど、ここのは麺が硬すぎなくて美味しかった。味噌煮込みが初めての子供達もそれぞれ頼んだ一人前をぺろりと平らげた。

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 これは夕暮れの岐阜県のJR関が原駅。数年前に名古屋から引っ越した友人宅を訪問した帰りに撮影。名古屋から通勤快速(大垣で乗り換え)で約50分の距離なのだが私は生まれて初めて訪れた場所だった。。関が原は言うまでもなくあの天下分け目の合戦があった所で、冬は雪の多い場所としても有名だ。駅の構内に利用客のゴム長靴が並べてあったのが微笑ましかった。

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 このあと名古屋駅で、名古屋時代のボクちゃんの親友のスコットランド人と9年ぶりに再会した。彼もまたお正月に東京から奥さんの名古屋の実家に帰省していて、その夜8時には東京に帰るというスケジュールだった。音楽好きの彼らもまた積る話があった。あれからもう何年経ったんだろう?そういえば私とボクちゃんが名古屋の信号待ちで運命の出会いをしてから今年で20年なのだ。本当に人生って不思議だ。

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 実家の屋上からの名古屋の夜景。手前にコンビニ。向こうにはテレビ塔が見える。311以降暗くなったというけれど、私にはまだまだ明るい名古屋の夜の街。
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 最後の夜、弟が張り切って焼いてくれた本格ピッツァ。これはトマトソースとガーリックとオリーヴ・オイルだけのマリナーラ。美味!!

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 マルゲリータもチーズが流れ出さないようになったよねえ!美味!!ピッツァ屋始めたら?

 
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 日本を離れる最終日1月6日はキリスト教(カトリック)でエピファニー(公現祭)という特別な日だった。それを初めて知ったのは、妹フランス人の夫はガレット・デ・ロワというお菓子を焼いてお祝いをしてたからでした。

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 お菓子には何かが一つ入っていて、それが当った人に王冠が与えられるんだって。それはピッピのお皿にあった。

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 入っていたのは陶製のハリー・ポッター。今回の滞在は、妹家族のキッチンとダイニングをシェアさせてもらって凄く快適だった。しかも連日のように義理の弟の腕を振るったフランス料理をご馳走になり、感謝の言葉が見つからない。

 お父さん、お母さん、日本の家族のみんな、私達の滞在を温かく迎えてくれてありがとう。母の「私はとてもラッキーな人生をおくっていると思うわよ」の言葉がずっと頭に焼きついている。私こそそういう母や父を持ったことは幸運だったと思う。久しぶりに再会した旧い友人、新しい友人、みんなに出会えたのも幸運だった。みんな本当にありがとう。

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 帰りは大阪までは新幹線で。実は初めてのぞみに乗った。ほんとに速かった。あまりに高速でロッタは生まれて初めて乗り物酔いしてた。

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 また今度会おう。私の故郷。

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コメント

日本に帰るとオーストラリアの記憶飛んで、こっちに戻ると日本の記憶が遠のく、よくわかります。まるでワープしてるみたいな不思議な感覚。私も毎回そうです。季節が違うからか、景色が違うからか、脳がぱっとスイッチしますよね。

ピザすごくおいしそう。あと、ガレットデロワも。あれ、おいしいですよね、アーモンドがたっぷりで。私も数年前パリに1月6日にいたことがあって、ありつけました。スペインでは、同じ日、オレンジウォーター風味のフルーツパンを食べます。で、やっぱり小さいなマスコットが中に入ってます。http://blogs.yahoo.co.jp/amigoplaza/58202262.html

aromariposaさん
スペインにも同じような伝統的なお菓子があるんですね。
エキゾチックで美味しそう。
フランス人の義理弟は、とにかくまめに季節の伝統料理を作る人です。
しかも楽しそうに。
特にクリスマスのために様々なビスケットやトリュフを作っていつでも食べられるように準備しているのには感心しました。
私ももっと伝統的な季節の料理やお菓子を食卓に並べられるよう努力しなくちゃと思いました。


お友達の帰省の記を、
シェアして貰って、こんなにも心の奥からから楽しませて貰えるのがありがたいです。

人生は不思議です。
そして、一瞬手を止めて、ちゃんと「不思議だ」と感じられる今の自分の場所も不思議で、かつ、ありがたい。

写真もいつにも増して真っ直ぐで、とても素敵です。

いつくらさん
日本への思いはとても言葉では言い尽くせないですよね。
愛おしさと哀しみとが一緒になった何ともいえない感覚。
郷愁というのか。
実は、日本から持ってきた茨木のり子著「うたの心に生きた人々」(詩人の与謝野晶子、高村光太郎、山之内獏、金子光晴をとりあげた本)にものすごく感銘を受けてしまい、なかなか滞在記がまとまらなかったの(結局まとまってないんだけれど)。
日本の昔と今を比べて、なんだか少しも日本人は変わっていないのかもしれないと深い悲しみを覚えたのです。
しかも茨木のり子さんは敬愛する詩人達をまるで彼女の詩を詠うような美しい言葉で表現していて、そういう文章を読んだ後では、もうただ呆然としてしまって。。。
でもこんな拙い私の個人的な記録を読んでくれてありがとう。
そうだ、上のaromariposaさん宛てに書いたことだけど、ここではどうも日本の季節の伝統行事に沿って暮らせないのか今気がつきました。季節が逆だから!言い訳かな。

お久しぶりです。
あぁ… 日本。 Yokoさんの写真をみながら旅日記を読んでいたら、
私まで日本にワープした気分になってしまいました。なんて聡明な写真なんだろう。とても美しいです。オーストラリアに来て何年経っても、いや、経てば経つほど故郷が恋しくなります。でも日本に帰ると25年住んでいたのが嘘のように、シンクの低さや、人混みの多さ、日本人に(!)びっくりする自分がいます。そしてオーストラリアに帰ってくるとほっとしてる。何でだろう。

弟さんのピザ… お、おいしそう。お腹が鳴りました。

あの時間あの場所全てが映画の世界ように感じる、この表現!恋に落ちます〜。

ごるふぃ。さん
読んでくれてありがとう。
聡明な写真だなんて、いえいえまったく、恥ずかしい。。
新しいカメラとはまだ良い友達になってませんが、こうして写真を見てみると実に自分が何を見ていたかがわかって面白いなあと思います。
ハリー・ポッターの背中にアーモンドクリームの羽が付いてるのには今気がついた!
そういえばごるふぃさん一家ももうすぐ日本出発なのでは?
良い想い出をたくさん作ってきてくださいね。

私はスーパーでクレソンないですか?って聞いたら、クルトン持ってこられたことがあります。
ところで一つの日記で書くのがもったいないような記事ですね。次から次へといい思い出ができた里帰りだったようですね。煮込みうどん食べたい!

suika さん

でもクルトンがさっと出てくるスーパーなかなかないのでは?
最近ブログを書く時間がないので一所懸命写真を並べて、思い出してはてんこ盛りになってしまいます。

そうそう、書こうと思って忘れていた、日本でやっぱりこれはすごいと思った出来事があったのです。
長い追記のようになってしまいますが、ここに書いておきます。

日本の大手通販サイトでCDを1枚12月30日に注文しようとした時、プレミアム会員は無料で翌日配達してくれるというので、年始は配送が忙しそうだし日本を発つ前に届けて欲しいと思って何も考えずにお願いしたんです。
しかし翌日配達されたパッケージを手にした時、私のワンダースタッフ(UKロックバンド)の新譜1枚のために働いてくれた人々がいるのかと思ったら、なんだかとても罪悪感を感じてしまったのでした。

それと今回また眼鏡屋さんに新しい遠近両用と度つきサングラスを作ってもらいに行った時のこと。
一週間くらいで加工してもらえるつもりでいたら、年末年始のお休みに入るため3週間かかるといわれがっかり。
日本にいるうちに新しい眼鏡を受け取ることが出来ないけど、それでも出来上がった眼鏡を家族に受け取りに行ってもらってエアメールで送ってもらうしかないとあきらめてお願いしたのです。
ところが、出国の日の朝、眼鏡屋さんからまさかの出来上がりましたのコールがあったのです。
注文してから2週間。
弟が機転を利かせてちょうど同じ方面に用事があるからと、バイクで受け取りに行ってきてくれたのでした。
とても嬉しかったのと同時に、私の眼鏡のために新年早々残業して働いてくれた人たちがいるんだとまたも罪悪感を感じてしまったのです。

このお客さんを最優先するの親切さは本当にありがたいと思うと同時に、日本人はやっぱり働きすぎだと思いました。
日本ではサーヴィスは当たり前だと思っている人が多いけれど、海外ではなかなかそうは問屋が卸しません。
オーストラリアでは車で1時間のところだろうが通販の配達に3日や1週間はかかるし、送料だって100ドル以下なら8ドルくらい取られるのは当たり前。のんびりとした時間というか、ゆとりというのか、そういうものがこの国には漂っています。

 実家の田舎なんで、そもそもクレソンなど売っていないと思います。ステーキにはクレソンだと思うんだけどね。sweat01
 日本では現場に権限を与えてないけど、現場で「何とかする」という習慣がありますよね。他の国では考えられないことだと思います。現場の権限と義務を書いたのがマニュアルですが、日本ではその上位に「何とかする」というのがあると思います。
 そういえば豪州では日曜に働かせたらえらく高く付くらしいですね。でも「新譜1枚のために」ではなくて「新譜1000枚のために」ぐらいなんでしょうね。

suika さん
しかし、逆にオーストラリアの格安航空会社にはもう少しお客のことを考えた仕事をして欲しいと思いましたね。
なにしろ飛行機が遅れた理由が、「乗務員の労働時間を越えてしまうため、シドニーから新たな乗務員が到着するまで飛行機は出発できない」というものだったんです(真偽のほどはわからないけど。最初は整備のため出発が2時間遅れるという説明を受けたから)。
関空のチェックインの大混雑も全てはスタッフの数の足りなさからくるものだったんです。
帰ってきてから苦情のメールを送ったけど、一ヶ月待たされてきた返事は、「ホテルのキャンセル料は賠償できません」でした。
まあ、飛行機は事故を起こさなかったから文句は言わないことにします。
でももうオレンジ星の飛行機には乗りたくないですね。
休日勤務といえば、こちらでは10年前くらい前まではお店(シティー以外)は日曜日には全部閉まってましたね。

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